伽藍について
仏殿
重要文化財。元禄15年(1702)上棟。建物は低い基檀の上に建ち、屋根は入母屋造、平入、現在は総杮(こけら)葺きとなっている。三間四方の身舎に一重裳層をつけた五間四方仏殿で、全体の意匠としては禅宗様を基調とするが、細部において和様の要素が多分に見られ、江戸中期における地方禅宗寺の雰囲気をよく伝えている。柱は来迎柱二本のみ丸柱とし、他はすべて唐戸面取り柱である。上層の斗栱は二手先、尾棰付、木鼻付、下層の斗栱は三斗組、木鼻付でともに詰組とし、軒先は二軒繁棰であるが、上層では扇棰になっている。堂内の床は漆喰叩きの土間とし背面側に大梁を架け、大瓶束を立てて天井桁を受け、中央は竜を描く鏡天井とし、周囲は霊鳥を描いた格天井を張る。来迎柱の前には唐様の須弥壇を設け、三尊を安置しており、裳層部分は海老虹梁で繋ぎ、天井桁を化粧屋根裏とする。また柱間装置は正面中三間を双折桟唐戸を吊り、両端及び側面の中央間には花頭窓、背面には丸窓を入れるなど変化に富んでいる。
法堂
県文化財。元禄10年頃に建立。法堂は明治期までは「客殿」と呼ばれていた。客殿は来賓の接待や休憩場所として使用される建物を指す。江戸時代の記録によれば、「祖堂」とも呼ばれていた。楊柳観世音菩薩を須弥壇に祀る。古くは本尊は聖観音菩薩であったが、七十世板橋興宗和尚の代に現在の楊柳観世音菩薩を建像し奉った。楊柳観世音菩薩は三十三観音の第一、左右の手に柳と洒水器を持ち疾病治癒などの御利益があるとされる。
庫裏
県文化財。庫裏の建立年代は18世紀初頭と考察されている。修行僧が集い食事を拵える台所、来賓をおもてなしする客間などがある。また玄関土間に須弥壇を設け厨子内に加賀守護冨樫家に由来する毘沙門天・秋葉大権現・弁財尊天を祀る。
坐禅堂
県文化財。日々の坐禅が行われる修行の中心となる道場。昔は佛殿の手前左に建立されていて明治時代に解体された、旧衆寮の一部を改造して設けられた。本尊は文殊菩薩。坐禅修行のあるべき理想像としてお祀りされる。大乗寺で修行したものは坐禅・食事・睡眠をとる場所として畳一畳の場所を与えられる。現在、僧侶が修行することはなくなったが、参禅会や参禅研修を行い、一般の方々に開放されている。
総門
県文化財。参道に入った参拝者が最初に通る第一の門。色が黒いため通称『黒門』と呼ばれている。寛文5年(1665)、大乗寺二十四世龍岩義門和尚の代に、本多町大乗寺坂に建立されたと伝えられる。大乗寺が元禄年間に現在地に移った際、移築。
山門
県文化財。第二の門。赤い見た目のために赤門と呼ばれる。寛永15年(1638)、大乗寺二十一世超山誾越和尚の代に建立され、元禄年間に現在地に移築されたと伝承される。楼上に釈迦牟尼仏、迦葉尊者・阿難尊者、十六羅漢を祀る。
「東香山」の扁額は二十七世卍山道白和尚の書によるもの。卍山禅師は曹洞宗における宗統復古に尽力された方として有名。
山門両脇に、仁王像(向かって右が密跡金剛、左が那羅延金剛)が居り、寺に災いをなすものなどが立ち入らぬよう、見張っている。
鐘楼
元禄10年頃に建立。
梵鐘は寛永8年(1638)鋳造と伝えられる。藩士市橋政忠がこれを寄進し、亡父の供養をしたとされる。金沢市で最も古い梵鐘である。禅寺では時を知らせるための法具として使用される。「仏法僧寶 諸行無常 是生滅法 消滅々已 寂滅為楽」と刻銘。
開山堂(聯芳堂)
開山堂は道元禅師、孤雲懐奘禅師、徹通義介禅師を、瑩山紹瑾禅師、明峰素哲禅師尊像と歴代住職を祀る堂で、聯芳堂と呼ばれる。法堂の後方に接続されているが、法堂より先行して元禄9年(1696)6月に二十六世月舟和尚の遺資で建てられた。